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言志四録とは

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「言志四録」とは、「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋録(てつろく)」の全四巻を総称したものであり、内容は学問、思想、人生観など多義にわたり、修養処世の心得が1133条にわたって書かれた随想録である。

「言志録」の書名の由来は定かではないが、様々な説が述べられている。『書経』舜典に「詩は志を言い、歌は言を永うす」とか、『論語』公冶長編に「蓋(なん)ぞ各々なんじの志を言わざる」などから、【志を述べる言葉をとどめ残すもの】という意味からではないかと推測される。

言志録

文化10年(1813)から文政6年(1823)の約11年間にわたって書かれ、246条からなる。一斎の42歳から53歳までのもので、天保元年(1830)に刊行された。

言志後録

文政11年(1828)から天保9年(1838)の約10年にわたって書かれ、255条からなる。一斎が57歳から67歳までのもので、「言志晩録」と同時に刊行された。

言志晩録

天保9年(1838)から嘉永2年(1849)の11年間にわたって書かれ、292条からなる。一斎が67歳から78歳までのもので、嘉永3年(1850)に「言志後録」と一緒に刊行された。なお、別存44条がある。

言志耋(てつ)録

嘉永4年(1851)から嘉永6年(1853)の3年間にわたって書かれ、340条からなる。一斎が80歳から82歳までのもので、嘉永6年(1853)に刊行された。

佐藤一斎 碑文めぐり

佐藤一斎は、「この人物が居なかったら、日本の夜明けは無かったかも知れない。」と言われる江戸時代後期の儒学者です。

門下生には、佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山などがおり、一斉の著書である「言志四録」は幕末の西郷隆盛、勝海舟、坂本竜馬などに大きな影響を与えたと言われています。

岩村の城下町には、一斎が残した名言が書かれた200枚もの木板が家々の軒下に掲げられています。

また各所に建てられた碑文は15ヶ所(天瀑山にも誌碑があるので16ケ所)。

このような環境から岩村町では、至るところで一斎の言葉に触れることができます。 岩村にお越しの際はこのMAPを片手に『碑文めぐり』をしてみてはいかがでしょうか?

▼碑文めぐりのマップについては以下をご覧下さい。(クリックすると、PDFが表示されます)

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いわむら一斎塾事務局

〒509-7403 岐阜県恵那市岩村町317番地

江戸城下町の館(旧勝川家)内

活動時間帯:9:00~17:00(不定休)

アクセス:中央自動車道恵那I.Cから国道287号線を南方へ、自然豊かな景色を見ながら車を走らせること15分。

庭園の見える和室
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